長野地方裁判所 昭和25年(タ)7号 判決
原告 田上ヤエ
被告 田上次郎 (いずれも仮名)
一、主 文
原告と被告とを離婚する。
原、被告間の長女「正子」の親権者を原告とする。
被告は原告に対し金九万円を支拂わなければならない。
原告のその余の請求を棄却する。
訴訟費用は原、被告の平分負担とする。
二、事 実
原告は、主文第一項と同趣旨並に被告は原告に対し金三十万五千円及び昭和二十三年五月一日より昭和三十九年三月三十一日迄毎月金千円宛をそれぞれ支拂わなければならない。訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、その請求原因として、原告は昭和二十二年五月五日婚姻の式を挙げそれより長野市南石堂町の被告方に被告並にその父母弟妹等と同棲し翌昭和二十三年三月二十五日その届出をなした。原告は姙娠し初産の慣習もあり媒酌人田村五郎の勧誘により被告並にその父田上清一、母田上みよの同意を得て出産の経費を被告において負担するとの約定の下に同月十五日東京都北区堀船町の実家へ行つたところ、同年四月二十三日長女正子を分娩した。然るに被告は冷酷無情で正子の出産の際上京しないばかりでなく葉書による音信すらもなさずその両親も同様であり、出産の経費は勿論配給の食糧さえ便宜を與えず、幼兒を抱えて途方に暮れている原告を顧みず、何等夫らしき父らしき振舞をしなかつたので、原告は昭和二十三年七月三十一日被告を相手取り長野家庭裁判所に夫婦同棲の調停を申立てたが被告は殆んど出席せず、父母が代つて出頭するような状態であつた。それで原告は將來被告と夫婦としての同棲することに絶望を感じ殊に清一、みよとの感情その他を考え合せ離婚を決意し、昭和二十四年五月四日の調停期日に離婚を主張した。然るに被告は正子出生以來食糧事情の惡い東京都で幼兒を抱いて満二年の生活に苦労を重ねてきた原告に対し何等の誠意を示さないにも拘らず、唯單に原告の復帰のみを主張したが愛情を持ち心から原告の復帰を希望していないのである。而して原告が同年五月二十五日の調停期日に出頭するため前夜上野駅へ來たところ意外にも清一が同駅に待受けており同駅より原告と同乘し車内で原告に対し被告方へ復帰するよう調停に應ぜよと強制的に要求した。そのため原告は同日同裁判所において心ならずも同年六月三日に被告方へ復帰する旨の調停に應じたが、右調停は同人の強迫により原告の眞意に基かないものであるから無効である。被告並に清一、みよ等は心から原告の復帰を希望しているのではなく原、被告の離婚に伴う慰藉料の支拂を免れるために原告の復帰を要求し自己の主張を正当化する冷淡な態度であつたので、原告は右の日に被告方へ復帰しなかつたのである。右のように被告は正子の養育その他についても原告等を放置し今日に至るも一顧だに與えないので、被告の行爲は民法第七百七十條第一項第二号所定の原告が被告より惡意をもつて遺棄されたときに該当するばかりでなく、原、被告の婚姻生活を破綻に終らせた責任は被告にあるのであるから同項第五号所定の婚姻を継続し難い重大な事由がある場合にも該当するので、原告は被告との離婚を求める。更に前述のように正子の出産費用については被告において負担する旨の約定があるのでこれにより支拂を求めるが、その額は東京都内の一般助産婦の経費を標準としてこれに産衣等の費用を加え金五千円が相当である。次に原告は前述のように食糧事情の惡い東京都内で二カ年余も実家に寄食し生活の困難を排して正子を養育したその費用及び將來の養育費用の内金として一カ月金千円と見積り昭和二十三年五月一日より昭和三十九年三月三十一日まで毎月金一千円宛(合計金十九万六千五百円)の支拂を求める。更に被告には婚姻当時初婚と称したが先妻との間に子があり、原告は初婚としての誇を失つたのみならず前述のような被告の冷淡無情な行爲により精神的の損害を蒙つたので慰藉料を請求するが、その額は原、被告双方の身分、地位、経歴、財産等を考量して金三十万円を請求する。よつて本訴請求に及んだのであると述べ、なお原告の学歴は高等小学校卒業であり、実家は家作四、五十軒を有していたが戰災を蒙り焼失し、原告は建築業を営んでいる実家に前述のように昭和二十三年三月中旬より寄宿しているが無職で收入の途がない。被告は早稻田工手学校を卒業し、清一の重量物運搬業に從事し東京都赤羽に家作を所有していると補述した。<立証省略>
被告は、原告の請求を棄却する訴訟費用は被告の負担とするとの判決を求め、答弁として、原告の主張事実中原、被告間の身分関係、原告がその主張の日に原、被告間の長女正子を分娩したこと、原告がその後原告の実家で同兒を養育していることをいずれも認める。然れども、原、被告間の婚姻は被告が先妻と離婚した後田村五郎夫婦の媒酌により原、被告の両親の間に縁談が纏り原告において被告に子のあることを了解の上婚姻の式を挙げたのである。原告が姙娠してお産のため実家へ行くについて被告方では当時東京都内へ轉入を許されず食糧事情が逼迫していた際であつたので被告方でお産をさせる希望でいたが、田村五郎が原告の両親の意思だと称し原告の実家でお産をするように強要したので、止むなく被告の母田上みよが附添つて昭和二十三年三月十五日原告を実家へ連れて行つたのである。その際出産費を被告方で負担するという約定はなかつたのである。被告の父田上清一は長野市内でトラツクを使用し重量物運搬業をしているが、將來営業の発展のため東京都内に進出したい希望を有つており幸に田村五郎が東京都内に宅地の賃借権を取得したのでこの権利を讓受け家屋を新築し原、被告をしてそこで営業に從事せしめる計画を樹て新潟縣中頸城郡新井町附近の山主から用材並に右宅地の賃借権讓受の対價として田村五郎に引渡すべき用材を買入れ伐採し雪解を持つて製材のため同町の材木店に運搬する予定であつたところ、同年四月二十四日頃原告より同月二十三日女兒正子出生の報に接したので、早速母子手帳の送付と正子の出生届をするように回答をなし同時に被告の家の者総掛りで右木材の運搬に取りかかつた。それは原、被告の居住すべき家屋の建築を急いだので被告は原告の実家へ行くことができなかつたのである。然るところ同年五月一日田村五郎から危篤の電報が來たので同人の妻である清一の姉のことと思い、みよが取敢えず上京したが、姉のことではなく正子が急病だとのことで原告の実家へ行つたところ正子には何等の異状もなく、原告及びその父母に対し被告が上京できなかつた理由を述べたが、原告の父からは清一が謝罪に來なければ原告を被告方へ戻さないと言われ、田村五郎からは約定の右宅地の賃借権を讓らない旨言切られ止むなく長野へ帰つた。次に清一が同月十五日頃上京し原告の父並に田村五郎に対し原、被告が居住する家屋の新築ができなくなつたので原告の父又は母が原告を長野へ連れ戻してくるよう放言して帰つた。その後同年六月中に原告より被告宛被告に愛情がないから被告方へ帰らない旨述べてきたので被告は直接上京し被告方へ帰るよう勧めたところ原告の父より被告が原告を冷酷に取扱つたので帰すことができないとて拒絶せられた。その後被告が原告に対し被告方に帰來するよう再三勧めたが、原告は同年七月中被告を相手取り長野家庭裁判所に夫婦同棲の調停申立をなした。本來なら原告こそ被告を遺棄したのであるから被告より離婚の請求をなすべきところ、それは原告の責任ではなく頑迷なる原告の父の責任であるから調停において終始一貫して被告方へ帰つてもらうよう要求したのである。同月中原告の父は田村五郎とともに原告の荷物を受取りに被告方へ來て留守居していたみよが拒むにも拘らず威嚇してこれを持去つた。原告は昭和二十四年五月四日の調停期日に被告との離婚を請求したが被告として離婚を請求される由れはないのである。清一は同月二十四日夜原告と上野発夜行で長野へ同乘したがその車中において原告を強迫したことはない。翌二十五日の調停では原告の希望により別室で原、被告が互に話し会つた結果被告の眞意が通じ、原告の自由な意思により原告が被告方に復帰するよう調停が成立したのである。從つて被告は右調停に從うべき義務があり原告の本訴請求は一事不再理の原則に反するから失当として棄却せらるべきである。次に正子の出産費については原告が主張するような契約をなしたことなくこれを実家において負担するのが慣習である。又子の看護養育の責任は母たる原告にもあり、原告は父たる被告に代理して看護養育しているものである上に原告の主張する費用は原告が被告方へ立戻らないために要するものであるから被告において支拂う義務はない。以上のように被告は原告を遺棄したものではないから被告が慰藉料を支拂う理由はない。なお被告は父清一の営業を手傳つているが小使銭をもらう程度で資産なく、東京都赤羽の家作は清一所有のものである。よつて本訴請求に應ずることができないのであると述べた。<立証省略>
当裁判所は職権で原、被告各本人尋問(いずれも第二回)をなした。
三、理 由
先づ被告の一事不再理の抗弁について判断する。被告は原、被告間に昭和二十五年五月二十五日原告が被告方へ復帰する旨の調停が成立しているので本訴離婚の請求が右調停に対し一事不再理の原則に反する旨主張するところ、原告が被告を相手取り昭和二十三年七月三十一日附で長野家庭裁判所に対し家事調停を申立て昭和二十三年家(イ)第一四〇号夫婦同棲事件として調停がなされ昭和二十四年五月四日に原告が同年六月三日子正子を連れ被告方に復帰し共に同棲する旨の調停が作成されたこと公文書であるが故に成立を認められる乙第一号証(調停調書)の記載と証人村上実の証言により明かであり、家事審判法第二十一條によれば、家事調停において当事者間に合意が成立しこれを調書に記載したときは調停が成立したものとし、その記載は確定判決と同一の効力を有する旨規定せられているので、調停條項に包含せられている事項に関しては調停成立の日を標準として既判力を生じ、裁判所はこれに覊束せられてその後に同一当事者に他の訴において右事項と異る確定をなし得ず、從つて当事者は右事項に牴触する主張を繰返し得ないのである。然るに本件においては原告において被告との離婚を求めるものであるところ、仮に被告主張のように調停中に原告より離婚の申出があり、調停の経緯として離婚が論ぜられても右調停事件は夫婦同棲調停事件であり原、被告夫婦が同棲する旨の調停が成立しその旨調書に記載せられたのであるから、両者は訴(又は申立)の原告及びその目的を異にし、本訴請求が右調停條項に包含せられている事項に牴触するものではない。從つて被告の右抗弁を採用する理由がない。
次に原告の離婚請求について判断する。公文書であるが故に成立を認められる甲第五号証(戸籍謄本)の記載によると、原、被告が昭和二十三年三月二十五日婚姻の届出をなし現に夫婦なる身分関係にあることが明かである。而して当事者弁論の全趣旨により眞正に成立したものと認められる甲第一、二号証の各記載に証人田村五郎、同村上実の各証言並に原告本人尋問(第一、二回)の結果(一部)を綜合考合すると、原告は昭和二十二年五月五日田村五郎夫婦(被告の父清一の姉夫婦)の媒酌により被告と長野市南石堂町の被告方で婚姻の式を挙げ、それより同所に被告の父田上清一、母田上みよ及び被告の弟妹等と共に同居し正常なる夫婦生活をしていたが、姙娠したので田村五郎の勧告に從い、昭和二十三年三月中旬被告、清一、みよ等の同意を意て原告の実家で分娩することとし、当時東京都区内へ轉入困難であつたので田村五郎夫婦と清一、みよ等と協議し、被告が時折上京して原告を見舞う上に原告の主食の移動証明の下附が困難であつた関係上被告において原告の主食を運び出産の費用や病気の際にはその費用を負担するその他必要な品物等をみよより送る旨の約定をなし、東京都北区堀船町の実家へ行つたこと、原告が同年四月二十三日女兒を分娩したので喜んで被告宛電報で通知したが、意外にも被告が上京しないのみか何等の返信をも寄せず産褥にある原告とて不安に襲われていたので、田村五郎から媒酌人の立場上七夜の前日被告方へ電報を打つたが七夜を過ぎても被告より何等の應答もなかつたところ、女兒が発病(乳兒脚気兼発育碍礙)し呼吸困難も現われ重症に陥つたこと、女兒出生して十日を過ぎて清一より原告宛女兒に正子と命名し主食の配給を実家の方で受けるべき旨の手紙が着いたのみであつたこと、それにも拘わらず夫たる父たる被告において責任に対する自覚が足らず暖い心を示し得なかつたため、原告は焦慮の念に駆られ精神の平静を欠くに至り、原告の父弟等も見るに見兼ねて田村五郎に窮状を訴え被告の上京を促すよう申出でたので、田村五郎が東京都内に親戚の多い被告方であるので上京を促すため單に危篤なる旨の電報を打つたこと、その頃原告が被告より棄てられたものと考えその時まで祕していた原告の被告方に同棲中被告が極度に質素であつたこと、その他苦しかつたこと等を父に語つたので父をして奮慨せしめていたとき、右電報によりみよが上京し田村五郎の指図により原告の実家へ赴いたこと、そこで違約を責められた。みよが被告と清一が貰つた嫁であるから自分に責任がない旨答えたことにより原告をして極度に悲歎せしめ原告の父をして激怒せしめたこと、その後出生より四十日余して清一が、又その後更に十日余して被告が漸く上京したが、原、被告殊に原、被告双方の親の感情の激しい対立を助長するより外に何等の効なき結果となつたこと、同年七月中原告の父と田村五郎が被告方へ行き原告が持参していつた荷物を受取り、その際被告の妹の好意より主食の移動証明書を貰つて帰つたこと等を認めるに足る。而して右乙第一号証、原告本人尋問(一部)の結果により成立を認められる甲第四号証(第一回)、同第六、七号証(いずれも第二回)の各記載に証人田村五郎、同村上実の各証言並に原告本人尋問(第一、二回)の結果(一部)を綜合推考すると、田村五郎において前段認定のような原、被告殊に原、被告双方の親の感情の対立を円満に纏めるべく努力したが徒労に帰し、原告としては正子があることとてこれを養育扶助してもらう考もあり、前示のような家事調停を申立てその調停進行中原告が被告の感情や態度より被告には唯單に原告を復帰させること以外に夫らしき、父らしき誠意を認められないので正子を原告の手で育てるべく決意し被告との離婚を申出るに至つたこと、原告が前示調停成立の日の前夜夜行で長野家庭裁判所へ出頭すべく上野駅へ來たところ清一に発見せられ車中同席せしめられ、「俺の方には有名な中山定夫弁護士を頼んで打合せができている、お前や両親を苦しめてやる、正しくとも金が無ければ裁判はやれぬ、長い者には巻かれろ」等と執拗に攻め立てて威圧を加えられ睡眠を妨げられたので、過労もあり総てを諦め死をもつて抗議しようとまで思い詰め、翌日の調停期日にはそれまで主張していた離婚の要求をなしえず迎合的に被告と同棲する旨の調停に應じたが、それは原告の眞意でなかつたこと、そして原告が同日被告方に一泊しそこで自殺をと思つたが実家に残してきた正子の顔が眼前に映り、これを果さず翌日実家へ帰つた後自殺を図つたが母に制止せられ親としての道を諭されて思い止まり、その後冷静になつてから右家庭裁判所宛に調停不成立にしてもらいたい旨の書面を送つたこと等を窺知するに足りる。叙上各段の認定に反する証人田上清一、同田上みよの各証言の部分並に被告本人尋問(第一、二回)の結果の一部は信用し難く、他に右認定を左右するに足る資料がない。この事実よりして原、被告間の同棲する旨の調停は原告の眞意に出たものとは認め難いのでその効力がなく、前段認定の事実をも参酌して考えると、原告は右調停による夫婦同棲の義務並に民法第七百五十二條に基く夫婦同居の義務に從う要はないのである。被告は正子出産により東京都内に原、被告の住家を新築するため一家総出で新潟縣新井町へ用材の運搬に出かけたため原告の実家へ赴くことができなかつた旨主張するので調べてみるに、証人田村五郎の証言並に同田上清一、同田上みよの各一部証言によると、清一は貨物自動車を使用して重量物運搬業を営んでいるので東京都内に支店を置くことが営業上好都合であつたので、田村五郎と協議の上原、被告の婚姻を好機として同人が賃借している東京都内亀戸の土地を借受けて家屋を新築し、ここに原、被告を居住させる旨の約定が婚姻の式の前に爲されていたこと、從つて正子出産の電報を見て家屋の新築を急ぐため清一において右新井町へ用材の搬出に行き被告やその義弟も共に出かけたこと等をいずれも認められるが、さりとて被告に夫たり父たる責任を感ずる一片の誠意さえあつたならば、原告に対し電報手紙その他の方法により原告に安心を與え、その信頼を保つことができて本件原、被告双方の紛爭の因を作らずに済んだものと考えられるので、被告の右主張は被告の誠意を示すことにはならないから採用に値しない。
以上のように被告に誠意がなかつたことから産褥にある原告に対し何等の愛情を示さず、食糧その他の便宜を與えず原告母子を放置したことはこの一事のみでは同法第七百七十條第一項第二号に定める配偶者を惡意で遺棄したとの離婚原因に該当するまでには至らない。然しその結果原告に不安を抱かしめたことに端を発し、原告の父と被告の父清一、母みよとの間に激しい感情の摩擦を生じしめその結果原告の被告に対する愛情と信頼感を失遂せしめたのである。被告はその性質温順であるが日常生活においても一徹な清一やみよの言いなりになり、意思薄弱であつたこと証人田村五郎の証言並に原告本人尋問(第一回)の結果(一部)により窺われる上に、被告が原告並に正子を幸福にする自信があると言いながら原告と将來婚姻を継続していくについて無爲無策であること被告本人尋問(第一、二回)の結果(一部)により推知せられる。從つて右に説明するところより被告の所爲は原、被告双方の間に将來夫婦として再び円満な家庭生活を営むことに対する期待を全く失わしめることになつたのであるから、この夫婦間の婚姻を破綻に導いた責任は被告にあるものとする。されば同條項第五号所定の婚姻を継続し難い重大な事由あるときに該当するので、これを原因として被告との離婚を求める原告の本請求は相当である。
次に原、被告間の子正子の親権は、現に原告において養育していること並に原告が被告に正子を引渡すことに不安を感じていること右甲第七号証の記載に原告本人尋問(第一回)の結果(一部)により明かであり、更に以上認定の事実に照して母たる原告をしてこれを行使せしめるを相当と解するから、同法第八百十九條第二項に基き正子の親権者を原告と定める。
更に原告の正子出産に要した費用(産衣並に助産費用を含む)並にその養育料の請求について判断する。婚姻から生ずる費用は夫婦の資産、收入その他一切の事情を考慮して分担すべきこと同法第七百六十條に明定するところ、本件原、被告間に婚姻届出前に別段の契約があつたことを認めるに足りる資料がないから、右法條の律意に照し婚姻継続中は原、被告において婚姻より生ずる費用を分担すべきであり、被告は同居すると否とを問わずその費用分担の責を免れることはできないのである。被告は出産費用についてこれを妻の実家で負担すべき慣習がある旨主張するが、この点に関する証人田上清一の証言は信用し難く他にこの慣習を証明するに足る資料がないので、被告の右主張は採用できない。(イ)前に認定したように正子の出産費について田村五郎と清一、みよとの間にこれを被告方において負担する旨の約定が存するが、被告との間に右約定をなしたとの証拠なく、原告が出産のため実家へ行くとき或程度の衣料品を被告が提供したこと多少の相異はあるが田上みよの証言(一部)、原、被告各本人尋問(いずれも第一回)の結果(各一部)により推知せられ、分娩に要した費用が約二千円であること原告本人尋問(第一回)の結果(一部)により明かである。從つて後に説示する原、被告の身分、地位、財産、生活状態を比較考量して被告が分担すべき出産費の額は金千四百円を相当とする。(ロ)乳幼兒の養育には月金千五百円程度を要すること(証人村上実の証言により明かである)、正子の病気に要した医療費が金二千四百十円であること(右甲第二号証の記載により認められる)並に後に説示する原、被告の身分、地位、財産、生活状態等に当裁判所が顕著と認める物價騰貴の事情を綜合斟酌して、正子の養育費の中被告が分担すべき額を一カ月金千円を相当とし、その期間は正子出生の翌月である昭和二十三年五月一日(前段認定の事実より推知せられる)より本判決確定の時までであるが、本件諸般の事情を考慮して原告を正子の親権者と指定する本判決言渡期日と指定した日である昭和二十六年二月十九日(記録により明かである)に至るまでとし、合計金三万三千六百円を相当とする。
更に原告の慰藉料の請求について判断する。前に説明したように原、被告間の婚姻を破綻に帰せしめた責任が被告にあり、原告はこれがため精神上多大の苦痛を蒙つたこと明かであるから、被告は原告に対し右苦痛を慰藉するに足る金員を支拂うべき義務あるものといわなければならない。而してその数額について審按するに、原告が初婚であり学歴は小学校高等科卒業であり、その後その母のアパート経営の手傳をしていたことがあり、昭和二十三年三月中旬より建築業で相当の資産を有していたが、戰災で財産を消失した父の下に寄食しており、職業なく自己の手で生活費を得る能力がないこと証人田村五郎、同村上実の各証言並に原告本人尋問(第一回)の結果(一部)により認められ、被告が小学校卒業後一時鉄道局電信課に勤務し自動車学校に学び(この点に関する原告本人第一回尋問の結果は信用しない)自動車運轉免許を得ており、現に重量物運搬業を営み上位の生活状態にある清一の手傳をして特殊貨物自動車を運轉していること、被告名義の不動産のあること等証人田村五郎の証言、田上清一の証言(一部)、原告本人尋問(第一回)の結果(一部)により認められる(右認定に反する被告本人第一回尋問の結果の一部分は信用しない)。右の各事実に原、被告の同棲期間その他本件弁論に顕われた諸般の事情を綜合斟酌して右慰藉料は金五万五千円を相当とする。
されば被告は原告に対し以上合計金九万円を支拂うべき義務あるものといわなければならない。
よつて原告の本訴請求を右各認定の限度において認容し、その余を失当として排斥し、訴訟費用の負担について民事訴訟法第八十九條、第九十三條を適用して主文のとおり判決する次第である。
(裁判官 市原忠厚)